相手の気持ちを考える!は日々の鍛錬が必要
たまに「私の共感性ってめちゃくちゃ低いのでは?」と思う事がある。
共感性って言葉が正しいのか分からないけど。想像力?かもしれない。
感動する物語でストーリーそっちのけで妙なところが気になってしまったり、聞き役といて相談にのっているのに相手の悩みにピンと来なかったりする。
それらは、私の人生経験が浅いが為に想像する力が培えなかったのかな?と思っているんだけれど、どうだろう。
何かに共感することって、相手と同じ目線とか同じ温度になることがで生まれるのかな、と思っているのだけれど、私はそれを想像できるくらいの「いろんな立場の目線」も「いろんな立場の温度感」も知らないんですよね。
いち女性、長女、子供、大人、独身者、アルバイト、フリーター、ニート、学生、とか?そのくらいじゃないかな、経験したことのある目線って。と思う。
もっと細かく分けていけば色々あるんだろうけれど、犬好きとか、出不精とか、お肌よわよわとか。
自分の若干のコンプレックスでもあるので、気にしすぎなのかな、とも思うけれどこの経験値の低さが共感性のなさにつながっているんじゃないかな~って最近思う事が多いんですよね。
目の前で大泣きしている人とか、大笑いしている人を見たときに、「この人は何でこんなに泣いて(笑って)るんだろう?」とか、「こんなに困っている雰囲気がにじみ出ているこの人、脳みそは何考えてるだろう?」とか思ったことありませんか?
わたしはある。めちゃくちゃある。
あと、ぼーっとして何も考えてなさそうな人を見ると「何考えてるのかな」って思う。
よく妹がぼーっとしている時に、「今何考えてる?」って聞いて確認していたこともあるけど、たいがい何でもないことだったりするので内容はひとつも覚えてない。
目の前の人が「もしかしたらパフォーマンスとして感情を出しているけど、実際は何も考えてない・別のことを考えてるんじゃないか?」って思う時がある(たまに)
別に目の前の人のあふれ出る感情を否定したいわけじゃなくて、
他人に降りかかった事とか他人の感情は私は想像することしかできないし、その人の感情はその人の人生とか思想とかで数値が決まるから、私の想像では測れないなとも思う。永遠に理解はできないよね、って思う。
うまく例えられないので例えないことにしておくけれど、
100円の価値はそれぞれ違うし、100円を失ったときの感情ってそれぞれ感じ方が違うんだから、それで泣いても笑っても怒っても、他人がとやかく言うのはナンセンスでは?と思う… ……こんな事を言いたくて書き始めたんだっけ?なんか脱線してる気がする。
共感性が低いのを何とかした方がいいのかしら?と思ったけれど、共感するのって考えれば考える程難しいなって思う。
相手の気持ちを考える!の難しさすごいな。日々修行だな。