事務員の日記

物覚えが悪い

四十九日法要を迎える前に祖母とのあれこれを思い返して感傷に浸ろうと思っていた

敬虔な仏教徒という訳ではないけれど、亡くなったらお葬式はお寺さんにお願いするし、なんとなくお寺に行ったらおみくじも気にしてしまう、お地蔵様は他の銅像よりも親近感とかあったりする。五重塔もなんか有難い気持ちで見ちゃう。

神道を信じている訳じゃないけれど、初詣も行くし、鳥居をくぐる時は一応頭を下げるようにしているし、参道の真ん中は歩かないようにしたりもしている。もちろんおみくじも気になる、お守りも買っちゃう。

 

仏道神道も半分ずつ都合のいいように信じたり信じなかったり、頼ったり頼らなかったりする私ですが(たいがいツイてない事が続いくと神も仏もないな、なんて悪態をついたりするので都合の悪い時だけ神のせいにしたりしている。)

今週末に祖母の四十九日法要があるのでおばあちゃんとの思い出なんかを書いてみたりしようと思う。

 

 

母方の祖母の事は物心ついたころから「あったん」と呼んでいたので、母方の祖母は「あったん」父方の祖母は「〇〇(従姉妹の名前)のばあちゃん」で呼び分けをしていた。

 

あったんの事をおばあちゃんと呼ぶのに違和感があるのだけれど、病院や老人ホームなどで「おばあちゃん」と呼ばれるあったんの姿を長く見ていたのでだんだん慣れてきた感じもする。

呼び方って不思議ですよね、あったんとおばあちゃんは同じ人なのに、おばあちゃんって呼ばれるあったんは少し上品な気がして気恥ずかしいな、と思ったりしていた。

「おばあちゃん」なんてそんな上品なもんじゃないよね、とか思っていた。もっと親しみやすい存在って意味で、悪い意味とかじゃなく。

 

あったんは私が小さい頃に両目を失明しているのだけれど、たぶん私が小学校に入る頃までは見えていたはずで、それなのに目が見えていたころの思い出はほんの少ししか覚えていない。

週末になると車を運転してレストランか喫茶店か、近くのお店にケーキを食べに連れて行ってくれたり、ジューサーを買ってトマトジュースを作ってくれたり、夏はじっちゃ(祖父です)も連れて海に行って華麗な犬かきを披露してくれたり、結構アクティブな人だったと思う。

温泉も好きだった気がする、外に水車がある風呂によく行って、そこの露天風呂でカモシカとかクマに遭遇した記憶もあるな。一緒に風呂に入る仲だったんだな、今思えば。

 

目が見えなくなるって結構な事件だと思うのだけれど、あったんの目が見えなくなった瞬間っていうのは覚えていない。視力が弱まってきた為に入院・手術をしたのだけれど、失明してしまったって感じだったのだけれど。

気が付いたら、「私のおばあちゃんは目の見えない人」になっていたし、自然と私にはそれが馴染んでいっていたんだな。

そう考えると後天的に障がいを負った人っていうのは、障がいを持つ前の人生もあるんだ、当たり前だけれど。忘れていたな、当たり前なのに。

 

目が見えなくなってから、祖父母の二人暮らしはじっちゃがあったんの介助を引き受けて二十年近く続いていたのだけれど、よく二人で暮らしてきたな。

長く住んでいた家だから、手探りで身の回りのことは出来ていたし、じっちゃも仕事は引退してずっと在宅だったから出来たのかもしれないけれど…もしも、私の両親がそうなったら果たして二人だけで暮らすことを良しとしただろうか?どうだろうな。

 

後期高齢者に差し掛かってからは認知症も進んできて、変貌ぶりが強烈だったのでよく覚えているのだけれど、この後期の強烈さに押されて認知症を発症する前のあったんの姿が薄ぼけてしまっているな。

人生の終盤、少しだけ認知症にかかっただけなのに、私とあったんの思い出がそれに押されてしまうのは惜しいなぁ。結構あるあるなのだと思うけれど、常軌を逸した行動とか言動があるから今では笑い話しとして昇華しているんだけど、それでもそれだけになるのは嫌だな。

認知症の前は、長い事目が見えない期間があって、その前は見えている期間もあるんだからなあ。

 

 

飼っていた犬が亡くなって直ぐにあったんも亡くなったものだから、なんだか立て続けだな、という印象が強かったのだけれど、比べるもんじゃないが人間のお葬式っていうのはすごいな。手順もすごいし、作法も色々あって、何回経験しても全く慣れない。

仏教徒じゃないけれど、こんなことしていいんだろうか?って思いながら、それでもセレモニーとしての葬儀って、遺される側の気持ちが軽くなったりするもんだな、としみじみ感じもしたのでこれからも何度かお世話になるんだと思う。墓もあるし、檀家だし。

 

熱しやすく冷めやすい性格なので、亡くなった当日から葬儀当日まではそりゃあもう色々思うところがあったり、ドタバタしたりして憤ったりもしたけれど、案外約50日も過ぎてしまえば怒りも持続しないもので忘れてしまうものだな。

自分のこういう性格、本当に血の通ってない感じがして嫌なんだけれど、いつまでも悩んだり怒ったりしなくて済むので前向きにとらえていこうと思う。

 

あったんとの思い出を書こうと思ったのに結局亡くなったあとのことと自分のことばかり浮かんできてしまうのなんでだろうな。

四十九日法要をもって忌明けになるそうだけれど、祖母が亡くなった事実はずっとあるし、祖母と生きた時間もずっと残るんだな。そのうちあったんと過ごした時間以上にあったんが居なくなった後の時間が伸びて行って追い越すんだろうけれど、それもまた人生ですか。(川の流れのように