仕事納めだからブログ納めする
今日で!仕事!納め!いえーーい!
極端に休みが少ない職場ですので、連休は長貴重です。
年末年始とゴールデンウィークとお盆にあります。
こうやってかくと年3回もある!と思うけど体感的にはもっと休みたいです。
ここ一ヶ月、なんとなくブログの毎日更新をしているのですが、
出勤して始業時間までの間にぼーっと書いて、考えなしに投稿しているから出来ているところがあります。ルーティーン化に成功したというか…目覚めにちょうどいい感じで。
でも今日で仕事納めですので、出勤しません。
家でブログを書く習慣はありませんので毎日更新もお休みしよっかな~と思っている次第。
今年、思い立って初めてみたわりによく続いてるな~と自分に関心したりしています。
もともと、何でもかんでも良く忘れちゃう物忘れの激しさを誇ってますので、記憶の保存として始めたんだけれど初めて見たわりにあんまり読み返さないことが発覚しました。過去に興味ないんだな、自分。
年明けから私の最も苦手とする仕事「新人教育」が待っていたり、職場の模様替えが待って居たり、三十路が近かったりするのでいろいろやっていきたいな~と思います。2019年のそうまとめとかそういうのはないです、2020年の事しかもう考えてないので。
それではさようなら~。
服が捨てられない
着る服にこだわりがある訳でも、特別おしゃれが好きなわけでも何でもないのだけれど、服が捨てられない。
Tシャツがとにかくたくさんある。頭おかしい量ある。下着の数より多い。
その癖、Tシャツは寒くなると着られないので冬の間はただの在庫になっている。
不要な服かな…と思う気に入ってもないニットは冬の期間がながい雪国なので一年の半分以上お世話になってる。おかしい。
小学校のころから使っているクマ柄の3段カラーボックス×3にすべての服を収納したいのだけれど、すっごく溢れ出ている。畳んでしまえないコートとか制服とかスーツの他にもめちゃくちゃ溢れ出ている。
パジャマの裏起毛スウェットとか畳んでも質量すごいから、二着しまったら1段パンッパンのパンになっちゃう。
捨てなきゃな…と思いながら捨てられない。
どうせ着ないのにな…。
最近気が付いたんですけれど、今まで出勤時に
ワイシャツ+カーディガン+コート+マフラー
で出勤していたんですが、コートをもこもこの厚手のものに変更したら
ワイシャツ+コート
だけで済むようになったんですよ…
重ね着するより、機能性高いものを選んで買うと荷物がすくなくていいなって気が付きました…少しずつ物を整理していきたいな…
ぎっっくり腰デビューを果たす2019年の瀬
朝目覚めました、犬が布団に入っていましたので解放(放牧)しました、朝食を食べている時「なんとなく痛いな~」と思っていたんですが、これは結構いつもの事なので一時間もしたら治まるだろうと朝の支度をしていたんですが…ストッキングを履くときに異様に腰がいたい。足が上げられない。
通勤の時、ハンドルを切るのすら腰が痛い、会社の人とすれ違ったときに会釈をするのも痛い…会社について靴を脱ぐときも痛い!脱いだ靴を持ち上げるのにしゃがむのも痛い…!ぎっっくり!?
やだ~😩
めちゃくちゃ痛いじゃん…
こんなに激しい腰痛はじめてなんですが、立ったり座ったりは出来るし、痛まないポイントもあるので…我慢する…
腰痛のときって、どうしたらいいの…😩😩😩😩
2019年クリスマスプレゼント=腰痛
毎日更新を一か月続けているらしい
11/20~今まで、毎日ブログを更新しているみたいです。
今の時代、毎日更新!って頑張っている人が沢山いますので、全然すっごいこととは思わないのだけれど、私は極度の飽き性だし面倒くさがりだし、主義主張も別にないので書くことも直ぐ枯渇して更新をないがしろにするのでは?と思っていた分、一か月以上更新できていることにすこしばかり驚いています。おどれーています。
今まで思いついた事をツイッターですんっと書いて、脊髄反射みたいにしゅーって更新していたので、ツイッターの方の更新はほぼ毎日・内容は別にない本当に独り言みたいな状況だったんですが、ブログの方を始めた結果ツイッターに張り付く時間が減りました。これはマジで、まったくツイッターに居ない人になりました。
一日何時間もTL眺めたりしていたけれど、見なくなりました。
面白くなくなったって訳じゃないけれど、面白さを他に見つけたりしたりして、主にネットフリックスとか。
脊髄反射でついつい過剰な言葉をつかってツイートするより、いいような気がするな~と思ってこっちを更新してます。
一言、二言、140字にまとめてどうせ自分でも見返さないTLに流すよりは、同じ内容なしではあるけれど、言いたいこと書ききってカテゴリー分けして思い返したいときに自分で読み返しやすいブログって媒体は面白いな~と思ってます。
今更かもしれないけれど、これに初めて気が付きました。だからみんなブログ書いてるんですね。
飽きるまでは続けてみようかな~と思っているのだけれど、noteのほうも折角登録したので続ける媒体をどっちにするかはもう少し悩もうと思います。
PCとタブレットどっちでも更新しやすいのははてななんだけれど、noteの記事の簡素感は魅力的ですよね。でもアプリが使いずらいからタブレットでの更新がな~~って思ったり。
キーボードたたいたり、マウス動かしたりで腱鞘炎ぎみなのでそろそろ音声入力を使いこなせる人になりたいです。仕事以外で極力右手を酷使したくない…。
良い方法ないですかね~。
M-1グランプリ優勝者を自分のタイミングで知りたかった
見ました、二日?三日?遅れで
この情報社会だと、M-1グランプリ優勝者のネタバレをしないまま自分が見るまでわくわくを留めておくことの難しさっていうのにすっごく直面したりしました。
当日はフィギュアスケート男子フリーのほうを見ていたので、録画したM-1を後でゆっくり楽しもう~って思っていたんです。
あんまり優勝者とかに拘りはないので、ネタバレされたからってがっかりするってこともないんですが。
漫才のトーナメントって別に優勝のネタバレを見ても気にならないな、と今年初めて気が付いたんですが、それって別どの組が優勝しても「私が笑えたか」「笑えなかったか」が最も重要でそれを見るから気にならないんだな、とおもった。参加するほうはそりゃあランキングは重要だろうけれど、いち視聴者てきにはランキングよりも「誰に笑わせられるか」が一番重要なんだな、たぶん。
それでもネタバレを回避する難しさっていうのを思い知らされました。
一応見かけないようにツイッター開かないようにしよう!と心に決めて出勤したんですが、朝のラジオでネタバレをくらい、職場の雑談でネタバレをくらい、ネットニュースのお知らせ(お昼にニュースまとめの通知を設定してる)にネタバレをくらいました。
朝ドラ(まんぷく)を見ているときにも感じたんだけれど、ネットで内容を共有して不特定多数のひとと一緒に見ている感じを味わうのが普通になってきている昨今、ネタバレを回避して生きていくってめちゃくちゃ難しいですよね。
特に重要な物語の起伏はぜったいネタバレを避けて通れないし、〇〇ロス!みたいな形で目に入ってくるし…なんで…なん?
幸せなことに私はあんまりネタバレをきにする性質じゃないので心安らかに生きているけれど、ネタバレによって作品を見るモチベーション変わっちゃうタイプの人は生きづらいんじゃないか…生きてますか…。
ケーキ消化試合
今週のお題「クリスマス」
クリスマスにあんまり馴染みがありません。
日本のクリスマスのはじまりは1552年宣教師ザビエルが12月25日にミサを行ったのが始まりと言われているそうです。
1568年には織田信長と松永久秀がクリスマスに一時休戦したって記録が残っているとか。めちゃくちゃ昔から日本人ってクリスマス好きなのか…。
キリスト教禁止令で姿を消しつつ、明治に禁止令が解かれるとクリスマスも復活。
1910年(明治43年)に不二家がクリスマスのデコレーションケーキを発売したり、1919年(大正8年)に帝国ホテルでクリスマスパーティーを催したりして日本中にクリスマスが広まっていった……。
>以上は日本文化研究会ブログさんより引用しました。
クリスマスっていつからこんなに馴染んでいるんだろう?って思って調べたら、ザビエルが出てくるとは思わなくて驚きました…ザビエルってすごいな、宗教を広めるだけじゃなくて日本人に文化行事まで教えてくれていたんですね。
今となっては私の生活にまったく馴染んでないクリスマスですが、
子供のころは、眠ったあとにお菓子が届けられていたり、枕元にオレンジジュース(当時の好物)が置いてあったりしたかな…
そういえば、小さいなりにピカピカひかるクリスマスツリーを飾ったりもしていたような遠い記憶もあります。
カトリック系の幼稚園に通っていたこともあって、サンタさんが来る!プレゼントもらえる!って雰囲気よりも、「お遊戯会でマリア様の役になった…」とか「集会でおうたをうたう」みたいな印象が強いです…。
それから、親の仕事上どうしても我が家にやってくる「クリスマスケーキ」
多い年で4ホールくらいきたんじゃないかな…あれを、クリスマス当日から年始にかけて毎食たべたり、冷凍したり、なんか色々しながら消化しています。
これは今も続いているので、私の実家のクリスマス=クリスマスケーキの消化期間
なんでこんなにケーキ作るの?別に食べなくったって…て思っていたんですけど、さっき調べたらクリスマスケーキは不二家が明治から日本に根付かせた文化であることが分かったし…今更100年近く親しまれている行事はなくならないだろうな…。
今年の予定はクリスマスケーキ2ホールらしいので、これ以上増えない事を切に願いながらクリスマスを迎えたいと思います。
クリスマスケーキにおびえながら、正月お餅を楽しみに過ごす年末。
金銭感覚がすっ飛んでる
赤裸々にお金の話しをする。
私にはひょんなことから手に入った(犯罪ではない)お金がある。
給料4ヶ月分くらいの、それなりにまとまったお金であって、貯金がほぼゼロの貧困事務員にとってはそれが唯一の貯金です。あと積立年金。
でもそのお金、どうにも「自分のもの」っていう意識がないんですよね。
自分で使おうと思えなくて、ずっと銀行で眠らせたままで「何かのっぴきならない事が起こったら使うか~」としか思っていない。
でも、今突然失業しても給料四か月分の現金がるぞ、という心の支え的にはすごいいい働きをしてくれている。
そのお金を最近切り崩して使っていて、親に貸したりしているんだけれど、これ絶対返してもらえないなって分かりつつ、別になんとも思わないというか…やっぱり自分で稼いだお金じゃないから、あってもなくても気にならないって感じなのかな?
こんな金銭感覚でいつかとんでもない詐欺とかにあいそうだな、と未来の自分を心配したりしている。
楽観的っていうか、考えなしすぎるのかなあ?
お金のことで苦労してきたと思うんだけれど、その割に勉強はしてないから、想像できてないだけかもしれないなあ。