学生時代の思い出を沢山覚えているひとってすごいな、と思う
学生時代の記憶がほとんどない、一番覚えているのが高校生。
それでも体感で2ヶ月間くらいの記憶しかない。
小学生と中学生のころ、どうやって生きていたのか不思議なくらい学校生活の思い出がない。ほぼ皆無。
嫌なことばかり覚えているのだけれど、それは嫌なことは脳内で反芻するから記憶に深く刻まれるせいだって妹から教えられました。
そんなうろ覚えの学生生活の中で、確か中学生当時、美術部に入部していた記憶がある。私は地元の美術系の大学に入学することが人生の目標だったことがあったので、その足掛かりとして美術部に入った。
今週のお題「部活」
※ここまで書いて下書きに残っていたのを今見付けたので書ききってみようと思う。※
脳内で反芻させることで記憶に深く刻まれる。
だから嫌なことは忘れられない、と思ったのだけれど、学生時代の思い出をたくさん抱えて生きているひとって、それだけ思い出を思い出として忘れないよう思い返す機会が多いという事なんですよね。
学生時代の知り合いや友人と、今でも付き合いがある人は必然的に思い出話しをする機会が多くて、何度も脳内の回路を行き来するから深く刻まれて覚えていられるんだろうな。
そう考えれば、私の学生時代はトラウマになるような恐ろしい経験もなく、思い返すほどの楽しさもなかったという事になるかなあ。
強烈に覚えている学生時代のことだけ書く
・小学生のころ、初めての生理がきたとき「生理になったから保健室にいく」と友達に言ったら「そういうことは男子のいないところでするものだ」と叱られたこと。
これ未だに腑に落ちないのだけれど、小学生女児にもこういうセクシャリティの事を隠すっていう習慣(?)が根付いているのってすごいなって未だに思い出したりする。
・たぶん小学生、不登校児になるまえに図書室通いをしているときに、植物のきもちになって書いてある詩集のシリーズを読みまくっていた。ちっちゃめの本で、可愛い書体だった気がする。あれまた読みたいけれど、作者もタイトルも思い出せない。
・中学生、なんか色々あったけれど、喧嘩?した友達に「私たちは絶交だけれど貸す約束してたCDは貸してよ!」みたいな事を言った記憶がある。どうしても聞きたかったんだな…これは今思い出しても恥ずかしい。
でも、こういう自分のことを棚に上げて都合のいいことを言うメンタルは今も直っていない気がするので気を付けたい。
・高校、担任の先生との三者面談。前述の日記にも書いたから割愛。
・短大、ほぼ記憶にない。
最終プレゼンテーションのときに、作品にたいして批評がなかった事が一番ショックで、作品を提示したときに相手に「良い」も「悪い」も与えられない作品って一番駄目だなと思った。
アクションを起こさせる(感情てきなもの含め)作品っていうものに、すごい尊敬があるのは短大のときの経験が大きいかもしれない。
わたしはアーティストとか創造する側の人間にはならなかったけれど、創作物を見る楽しさとを知れたから有意義な二年間だったかな…有意義かな…
こんな感じ。
不登校になったり、引きこもりみたいなこともしたけれど、その原因とかは自分から見た一方的な意見しか言えないし、被害者面した学生時代だったけれどたぶん私だけが痛い思いをした訳じゃないというのはなんとなく感じているから何も言えないな~
しかも、強く覚えているほどの経験でもなかったし、社会人になった後の方が圧倒的に楽しくてほとんど覚えていないのが実情だし…
忘れやすいからブログをはじめて書き残しているのだけれど、忘れっぽいがゆえに生きている気もするな。