自己分析の自分語り
自分以外は全員他人、という事を忘れないで心を砕いて言葉にするという事を諦めないって、すごい大切なことだしこれが出来ている人を尊敬するなぁ!と思ったので忘れないうちに書き残しておく。
生きていると必然的に他人とコミュニケーションをとらなければならない場面に出くわすんですよね。私の生活で言えば、親とか会社の人とか、店員さんとかその辺。
私はコミュニケーション能力が高くないので、「最低限の礼儀だけなんとか整えるので勘弁してくれ~!」と思って省エネコミュニケーションをしてしまう傾向が強い。
主に、
・思っていることを言葉にしない(=変に否定してしまって、自分の考えに反応が返ってくるのが面倒くさいから。自分に意見を否定されると自分自身を否定された気分になるから。)
・目先の面倒を回避するだけの嘘をつく(=嘘は自分の意見も主張でもないので否定されても肯定されても心の動きがなくて楽だから。会話を適当に切り上げたくてつい虚偽の予定をいれたりしてしまう。)
とかが私の中のコミュニケーション大問題だと思う。
不愉快な思いをしても相手に伝えないし、なんとなくその場を丸く収める嘘を言ったり(笑ったり、思ってもないのに同調したり)して、上辺だけコミュニケーションっぽいやり取りをして過ごしているのでどんどん自分の生活が面倒くさいことになる。
こうやって何年も過ごしていると、その場所(その人)に対する自分の人格みたいなものが出来てしまって、本来の自分とどんどん乖離していく。
本来の私は、インドアでずぼらで短気で飽き性のハマり性のミーハーなのだけれど、そこから嘘で作り上げた(ある種理想の自分象みたいな)人格が形成される。
私に限らず、一人でいる自分、家族といる自分、友達といる自分とか自分の中にいくつも面があるのは当然のことであると思うけれど、そこに嘘をつくと本当によくない。面倒くさい。
しかも、私は飽き性の短気なので一気にすべての嘘が面倒くさくなってしまうことがある。数年偽ってきて訪れることもあるし、十何年後に突然無理になることもある。
それで、もうこの嘘続けるの面倒なのでご破算!って人間関係を消滅させてきた気がする。
これを回避するためには、自分以外はみ~んな他人なのだから言語コミュニケーションで自分の内側を共有することが重要であると思う。
自分の気持ちに嘘をつかない、みたいに書くと安っぽいけど、そういう事なんだと思う。
着地点を定めないまま書き出したのでふんわり終わるけれど。
人間をもう少し長く続ける予定なので、たまには自己分析をして軌道修正を図りたいとおもう。