マイノリティは声を上げ続けなくてはいけないのか?
いけないのか?
と、最近思うんです。
マイノリティ(少数派)はずっと、声高に存在を主張し続けなくてはいけないんでしょうか。めっちゃ疲れませんか?
少し前に話題になった「生理バッジ」の時にも思ったんですよね、
生理が重くて働くのもしんどいとか、行動に制限があるとか、そういう人は少なくはないと思う。でも、男女ひっくるめるとそういう人たちもマイノリティに属しますよね。
マイノリティである人の方がバッジをつけて主張しなければいけないんだろうか?
主張したり、肩ひじ張ったり、頑張ったりしなくてもいい環境があったら良いんじゃないの…と思うんです。
(個人的には「生理ちゃん」の漫画は楽しく読んでるし、漫画でやっていた通りの展開で現実が動いていく面白さってあるな~とも思いました。バッジについてはいいとも悪いとも思わない。)
バッジがなくてもいいように、マジョリティの方がマイノリティの存在を理解して対応できる環境が必要なんじゃないの…生理ちゃんバッジじゃなくて…。ノベルティとしての生理ちゃんバッジならすごいほしい、かわいいから。
私はLGBTQ+の「アセクシャル」にめちゃめちゃ近い性的思考を思っているのだけれど、これって別に誰彼構わず言いふらして歩く物でもないと思っていて、
だって、異性愛者のひとはわざわざ「男がすきだ~」とか「女がすきだ~」とは言い触れて歩かないですよね。それと同じじゃだめなの?って思う。
そして、これって私(マイノリティ自身)が発信し続けて、大勢いるマジョリティに啓蒙し続けなくてはいけないものなの??って思う。しなくてもいいようになってよ、令和って思う…わがままかな。
だってマジョリティの方が人数多いんだから、少数に頑張らせるよりいいのでは???って思うんだけど、どうなんでしょう。
いやでも、知らないひとに届ける作業は必要だから、啓蒙活動を否定する気は全くないしめちゃくちゃすごいと思うし、尊敬しかないんだけど…私生活とか個々人でもそれやらなきゃだめ…?って思うんだ…面倒くさいじゃないですか…。